書きたいことを書きたいときに

日々思ったこと、感じたことを整理する為に書いています。

毒母に認定します!①


こんにちは!


「お前の顔は、
   中の上ってところだね♫」 


と父に言い聞かせられ育てられた


中之上(ちゅうのじょう)30代です。



毒母に認定します!!


そう思ったのは、兄が自殺してから
半年くらいたったころでした。


兄が亡くなってから9年が経過。


カナダに来て、時間や余裕をもらったことで
自分の中のモヤモヤを少しずつ整理している中之上なのですが、


カナダの優しい自然ヒーリングのおかげで
これからは、お兄ちゃんのことを思い出すとき
明るい気持ちで、前向きな気持ちで思い出そう。
彼が笑っている顔を。
楽しい思い出で包むんだ、って決めたのでした。



今回の考え事では、そんな兄ではなく
「毒母」と娘に認定されてしまった中之上の母について
前に進むために、気持ちを整理するため書きとめておこうと思います。


今回はただの議事録的な感じで、覚えている状況の整理を
しようと思います。



一番、毒母としてイカしている場面としては


「あんたなんて、この家に居たって、
  なんの役にも立たない!」


 そうきっぱり言い捨てたところでしょうか。
 決めポーズでもすればよかったのに!って言ってあげたかった。


もちろん、


「お兄ちゃんではなく、あたしが死ねばよかったよね。
  逆で残念でしょ。本当にごめんなさい。」


って娘は火に油を注いだもんだから、さらに母娘の関係が
悪化したことはご想像いただけそうです🎵


ご安心を!
今は、関係が修復しています。
2人の孫という、太陽みたいに強い光を放つ天使が
中之上の元に生まれてくれた為、
やや強すぎるくらいの光でw、マーーーーックラ暗暗お化け屋敷だった家族に
超絶明るい光線を撃ちまくってくれたのです。
また論点がずれてしまうのですが、
兄の旧友という人が、兄が亡くなってから数回、実家に突然来て居ます。
そしてポイントは、そちらの能力があるということです。
もう、傷心中の人達にそうゆうのやめてくれって感じなんですけど


私の長女は、夫の先祖が。下の長男は、亡くなった兄が。
連れて来てくれたのだそう。

信じてまうやないかーーーーーーーい!
という出来事もありました。






母親との関係に疑念?が出て来たのは
多分高校生を卒業する頃だと思います。
もっと前からコントロールされていたんですが、
多分、中之上が反抗期を迎えて思うように操れなくなってきたことで
互いに問題として浮上し始めました。


母と中之上の関係を考える上で、外せないものがあり、
それは母の育ってきた環境、母が見ている景色でした。


母は、自分の母親(私のおばあちゃん)が父親(おじいちゃん)に
平手打ちされたり、茶碗を投げ合って流血なんていう現場を
当たり前のように見て育っているようです。


ひと回り以上年上の兄がいて、その兄が言うことは絶対で
親が言うことは絶対で
自分の親や兄姉に



「お前は何もできない、お前は足手まといだ、従え!
口答えするな!
 ダメなやつめ。トラブルメーカーのお前の意見は聞いてない!



そんな言葉を浴びながら育ち、
母には、さらにそれが拡声器を使っているかのように
大きな声となって届いてたみたいです。


いわゆるモラハラ一家だったわけです。つら!


孫の立場の私にも、それを目撃した記憶がありました。


母と祖母が言い争いをしており、


祖母「お前のような奴は地獄に落ちる!」



と大きな声で母に対して言ったんです。


「お母さんをいじめるなら、二度とこの家に来ないで!」


自分の最愛の母のピンチを感じた中之上は
祖母に向かってそう言い放ったを覚えています。


あんなひどい言葉をよく自分の子供に使うよな・・・・と思ったのです。
それの祖父、長男のおじさん、長女のおばさんバージョンも数知れず。



子供って、もうほとんど母親が全てじゃないですか?
すべての世界が母を通して経験するというか・・・
だって産んでもらってるし、乳飲んで、着替えさせてもらって
うんち拭き取ってもらって、体を優しく洗ってもらって
抱きしめてもらって、遊んでもらって。


もちろん父親も大切です。
でも、特に昭和の時代なんて
子育ては女の仕事だとレッテルを貼られていたから
余計そうだと思うんです。



私の初めて聞く見る世界は全て
イコール母の世界だった。


だから、小さい頃から


なぜお母さんはいつもつらいのだろう
お母さんがかわいそう
お母さんを助けてあげたい

なぜ他の人はお母さんを傷つけるの


その気持ちで埋めつくされていました。


完全に母親の味方。
もう気持ちは一心同体です。


そのいい例は、父でした。
もちろんのことw、夫婦仲もわるい。
最初からではないはずなんですが、いつからか最悪でした。
かなりの頻度で嫌な空気が家を包んでいました。



ある喧嘩で、父を不憫に思った中之上。
「お父さん、かわいそう・・・」
って一緒にお風呂に入っているときにつぶやきました。


そのあとでした。
母の怒りの矛先は娘の中之上に向けられたんです。
もう徹底的に中之上を無視無視無視。


母の攻撃の仕方は結構やばいです。
小学校2年生とかの娘相手にですよ?
さすがメンヘラだねって今は思えます。

まぁ、自分もそうされてきたのでしょう。


大好きな人に、理由なく無視され続けて
すごい勢いでドアを閉めたり、皿を割れるほど叩きつけ
怒った様子の母の様子をジーと見ていました。
どのくらいの時間が経ったか・・・・
母に優しくしてもらいたいだけになった中之上に



母はこう一言。
「あなたはそうやって、お父さんの味方をしていなさいよ。」


それはつまりこの意味でした


あたしの意に従わないんだったら
これからもこうなるんだからね。



最初のコントロールはこの出来事だったなーーって思います。


確かに、口論は
どちらかだけが悪いとは思いません。
でも、父母の喧嘩をみて
子供が、その正しいジャッジができるでしょうか。
母は子供達を自分の味方にするのに全力でした。



そんなこんなで、本来お父さん大好きだった中之上ですが、
小学校を卒業するころから


父親を軽蔑するようになりました。
だってお母さんがお父さんに対して怒っているから。
中学2年くらいから高校卒業まで、父とロクに口をききませんでした。
よく言う反抗期、
お父さんくさーい!お父さんと一緒に洗濯しないでね♪


とかそんな質のものとは別でした。
嫌悪感や怒り、失望、軽蔑、落胆・・・・
だって母の気持ちも自分の気持ちみたいに持ってるから。


でも心の底では同時にお父さんが大好きだったと思います。
大好きで心配で。
だから思春期は父に対しては
苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。




母の口癖
「ちょっとまって、ちがうのよ。」
どんな話でもこの始まり。
否定されてきたから、自分はそうじゃないんだって
表現する癖がついてるんだろうなって思った。


「どうせ、またうまくいかない。」



「だれも私をわかってくれない」



「だれもわたしをかばってくれない」



「生きてたってしかたがない」



「わたしはいつも押さえつけられる」



「わたしは馬鹿にされている」 ←まだあるがキリがないw



ずっと、母が不憫でした。
自分の親と和解できず、実の兄にコントロールされ怯え、夫に愛されず、
義理の母に嫌がらせされ、職場での人間関係も悪い。
最後には最愛の息子が、受験の失敗を苦に自殺したと。


だから私は不幸なんだ。


そう言っているのを聞くのが辛かった。
だから、お母さんが私に辛く当たるのは仕方ないのだと。
そして、私が楽しんだり笑ったり幸せになることに罪悪感がありました。


兄が亡くなってから
毎日、母はお酒を飲んで泣き叫んでた。


声をかければ もうこの家族は終わった
       死にたい死にたい 
       私はいつでもひとり
       あんたとおとうさんなんかいらない
       
母は、大きな声で泣くんですいつも。なぜだろう。
誰かに泣き声を聞かせているかのようだった。
私とお父さんに聞かせるためなんじゃないかとすら思った。
壁を叩いて奇声にちかいような泣き声で、まるで
全部お前らのせいだ。って言われているような気がした。


だからお母さんの泣き声が嫌い。
母に寄り添いたかった。
でもずっと聞いてると頭がおかしくなりそうになったんです。



お兄ちゃんが居なくなった悲しみすら
家族で共有できなかったんです。


ただ、ただたんに
お兄ちゃんに会いたいよーー
辛いの気づいてあげられなくてごめんよーーって。
泣くこともできなかった。



3年後、当時付き合っていた彼(夫フミオ)と結婚することになったときに
母からの闇が矛先や形を少し変え始めたのを感じました。


無言電話、何十回とかかってくるようになりました。
家ではもちろん話もできない。
話そうとすると拒絶される。



「おまえは 家族をすてた」
「おまえは じぶんだけよければいいんだ」
「このかぞくはもうおわり」
「もう生きたくない ぜんぶおわりたい」
「だれも あたしをたすけない」
「ばからしいじんせいだった」
「こんなかぞくいらなかった」


そんなメールが、何通もおくられてくる。



お母さん、苦しかったんだろうな。。
この人、闇に飲み込まれたんだって
ほんとに思いました。


あたしには助けられない、とも。
だから本当に、いなくなるのがお兄ちゃんじゃなくて
私だったらよかったかも。
って本気で思うこともありました。


お母さん、苦しいのも悲しいのも
あなただけじゃない。
お父さんも私も、こんなに辛いことなかった。
なぜお父さんに、私に、刃を向けるの・・・




いつもこの状態というわけではないんです。
波があって、最初はどん底で
少し上がって来たかともったら
また暗闇にもどっていく、というような感じでした。


そして
母から中之上に向けられる感情も不思議だった。


愛情の中に嫉妬や妬みが入っている、寛容に執着がくっついてる。


義務?家族?愛?恨み?罪?責任?絆?


いろんなものがごちゃごちゃに混ざり合っていて、
あまーーーーい猛毒みたいな感じでした。







すみません、いつも いいね してくださっている方に特に!
感謝してます


不快感を与えたかもです。。
でも、この日記は決して呪いではありませんwwww



これらの経験が
中之上の中に気づきを与えてくれました。何年もかかったけど・・・
次の日記で、明るい気持ちで生きていけるように
気持ちの整理、毒母②を書きたいと思います。






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