書きたいことを書きたいときに

日々思ったこと、感じたことを整理する為に書いています。

続。命の選別。

こんにちは!


「お前の顔は、
   中の上ってところだね♫」 


と父に言い聞かせられ育てられた


中之上(ちゅうのじょう)30代です。



前回の日記で、不妊治療の末授かったお腹の子供に対し
出生前診断を受け、結果次第ではおろすことを
親友ミカコから伝えられ、
心がざわついた中之上なのでした。


前回の日記を書いている時は、
なんというか、怒りのようなエネルギーや熱い気持ち
のようなものが湧いてきていましたが、



少し落ち着き、さらにミカコ本人にも
自分の立ち位置として違う意見であるという

気持ちを伝えたことによって
お互いの理解が深まり、
学んだことを今回は記録しておきたいと思います。



まず、一番大きく中之上自身が反省すべき点は
結局、実際にそれを体験している人にならなければ、
そうなった時の本当の気持ちはわからないということ。


一つの体験や事象は、起こった事実は同じでも、
見ている人間が違えば、違うものに見えていると言うことでした。



結果的に、
例えば 母親はどんな子供でも愛することができる。
人間には命を操作する権限はない。


このような、一見したら美談みたいな押し付けを
物事の一面だけをみて、ミカコに押し付けていたんだと気がつきました。


もちろん、人間が生きていて
幸せってなんだろうって考えて、そして障害とか人と違うということについて
一緒に考えた時、


障害があるから不幸せになる?  いや、それは絶対条件じゃない。

それをどう受け取るか、そっからどうしていくかで結末は変わると中之上は思いました。




ただ、生まれてきた子供が自分と目も合わせてくれず、
ひたすら奇声をあげている、そんな状態が心の余裕を奪って


自分の子供が愛せないという事実に直面して、自分を責めて
苦しみ続けている人も実際にいるらしい。
(いや、障害の有無関係なく自分の子供が愛せなくて
 自分も子供も苦しい思いをしている人もいるんだろう・・・)



ミカコは、思春期のときにそれまで友達だった子たちに無視されて
いわゆるいじめを受けていた過去があると言う。
なんでもないきっかけから、喋り方や容姿をちゃかすようなもの
がだんだんとエスカレートしていったそうだ。


そこから、ミカコの中で
人にバカにされるようなことがないように
外見は綺麗に、言葉使いに気をつけて(人の気分を害さないで)
目立たないように。


というものが根底にあると。
今回、障害者だった場合はおろしてほしい。
初めは夫から言われたが、それに対して自分的には納得もしたし反論する
力みたいなものが湧いてこなかったと。



なるほど、確かにミカコの普段の言動には
思い当たる節があったのです。


人に絶対意見しない。自分のことをいつでも卑下して
面白おかしく落として話すところがあったのです。


うーん。

ミカコ…2年くらいか自分がこどもが欲しくてもできなくて、それにひきかえ近い友達は次々と出産してママになっていく。

人と比べて疲れて、素直におめでとう言えない自分を責めて、また卑屈になってたんだろうなと思うと、



手放しに今回の行動を批判することはとてもできない…。


中之上は、自分の考えはあるけれども

でも、ミカコの考え方もしっかり飲み込もうと思いました。