書きたいことを書きたいときに

日々思ったこと、感じたことを整理する為に書いています。

年上には「さん」をつけなさい

こんにちは!


「お前の顔は、
   中の上ってところだね♫」 


と父に言い聞かせられ育てられた


中之上(ちゅうのじょう)30代です。



ある夕食の時にですね、
中之上の長女はなこ(1年生)がこういったのです。


「あのね、近所のたけしくんってさ
 他のみんなに ”たけし!” って呼び捨てされてるでしょ。
 それなのに、わたしには呼び捨てで呼ばないで、って言ってくるの。」


ほー。


中之上は


「はなこには ”たけしくん♪”って呼んでほしいんじゃない?」


そこに挟んできたのが
じじばば!!じゃーっん


(いま夫フミオがタイに単身赴任中で
中之上と子供3人は、実家にすんでおります)


ばーば
「そりゃ、はなこよりたけし君の方が年上なんだから当たり前よ。」



ん?


中之上
「いや、たけし君 彼より年上の友達呼び捨てで呼んでるよ。
 だからそのルールは彼には当てはまらなくない?」


じーじ
「いや、とにかく年上を呼び捨てで呼ぶのはダメなことだ。」


は?



これ、中之上つっかかるやつねWW



年上だから、年下からは「さん」付けで呼ばれるべきだと。
ほー。
んでそれが、あなた方の「常識」だから、ですよね。


はい、ちがいまーーす!!



ということで、中之上は
子供達にも正しい認識?というより、納得して覚えてもらいたいので
なににつっかかったのか、しっかり考えてみることにしました。



中之上の認識として、まとまったもの。
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まず、人は本質的にはみーーんな対等。
偉ぶっていいやつも、虐げられて当然のやつもいない。


その基本で、相手の名前に『さん』をつける。(くん、ちゃんもおんなじ)
これは、敬称という。
文字通り、「相手を敬う呼び方」だと。
これはあなたのこと、尊重しますよー認めますよーーという姿勢を示している。


だから、名前に敬称をつけて呼ぶ理由は
年上だからでもなく、先輩だからでもなく、自分が下(年?身分?)だからでもない。


対等な関係の上で、相手に敬意を払うという意味でつけていると。


ただ、相手との関係の中で
より親密な関係になると、愛称としてのあだなだったり、呼び捨て
という形もありだと。
そこには、相手への愛も必要だし、
相手側からそう呼んでもいいよ!という了承が必要。


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こうまとまったのであります。


ということを踏まえると、
年上なんだから、「さん」をつけないといけない。
というのは間違った認識なんじゃないかな、と感じます。
人に歳という要素から上下をつけてます。


それがまかり通ると、逆に
「年下のやつは、呼び捨てで呼ばれたって文句言えない」
ってことになりますよね。おかしくなぁい?


年上を敬いなさい。という教えもありますよね。
それもいいとは思います。


人間がこの地球に生まれて、みんな等しく時間という概念に縛られて
生きている以上、先に生まれた存在の方が経験値が多いのは確かですし、


例えば昔の大人数の兄弟なんかは
先に産まれたからこそ、年長者という役割を背負って

生きていくことになるので、

それに伴う、責任や犠牲、忍耐など背負ってくれているから

それに対しての敬意とか感謝とかの意味で、

「お兄ちゃんの言うこと聞きなさい!従いなさい!」

と言われるのも、理解はできます。

ただ、それって時代背景とかもあるんじゃないかな、、、

いま、そんな背負ってるガキ大将とかいないでしょ?


みんなを守ってやる!だからオラのゆうこと聞くんだぞ?

みたいなさ←妄想w


家族間でも上下という序列をつけて、指示する支配する側と、される側にきっぱり分けてるようなところに

調和のとれた関係がないことはみんな知っていることで…


お父さんの言うことは、とにかく絶対なのよ!

なんて家庭、今時じゃないよね、、、



上下関係というのも、人間社会を回していくのに都合のいい考え方だなーと思うところであります。


一番最初に、上下関係のなんやそれwにぶち当たったのが

ザ中学生!! 


運動の部活の、先輩たち…

笑えるほど威張ってたな〜笑

嫌がらせとかもすごかったし…

おたく何様だよwと思うこと多々。



はじめて上下関係というものを教えられた思春期の子供たち、

上下関係を履き違えるとは、まさにこのことっていう例でひた。。。



上下関係を必要なものとして捉えるなら、

上を支えて、従っていく「下の役割」のものとは対照的に


上の役割になるものは、下の為に尽くしたり守ったり、模範になる姿を見せるというのが、当然に必要になりますよね。

それわかってない「上の役割」が問題なんだねきっと!



上は、ただ威張っていい。

とか、おバカすぎる認識でいる大人っているのかな…

きっといるんだろうな…

自分がそうならないようにしないとね!!うん。




娘の花子、お母ちゃんにいろいろ考えさせてくれるきっかけを

ありがとーーー♪








「ありがとう」1000回運動の結果

こんにちは!


「お前の顔は、
   中の上ってところだね♫」 


と父に言い聞かせられ育てられた


中之上(ちゅうのじょう)30代です




「ありがとう」っていう言葉のパワーを知っていますか?!


中之上は知りません!はい!笑
(教えてくれるブログじゃないんかいw)


ということで、少し前から


1日に1000回「ありがとう」を唱えてみることにしたんですね。


結果から伝えますね。


おい、これ・・・


いいかもしれんぞ・・・


ですよ(*゚▽゚*)
あいまいな結果だなおい。と思った方はぜひやってみて。


どこぞのブログだったか、心を込めて ありがとう 言えればいいけど
「ありがとう」という言霊じたいにいいエネルギーがあるらしい
とのことでしたので


まず数こなしてみまひょか!ということで
1日に1000回!と自分で勝手に決めてみました。


長男5歳を幼稚園に送ったその帰りの車のなかで
ひたすら「ありがとう」といいます。
ああ、なんてこのキャンペーンに都合のよいご時世でしょうか


ますく〜で、バレない♪


だいたい1秒に2回くらいいうハイスピードで頑張ります。
息継ぎしたり、いいまつがいして減速したりしても
10分くらいで完了するわけです。


最初3日間でまずわかったこと。


ありがとう と オリゴ糖は とても似ていること笑
これね、ほんとそうなんですよ。
んでね、中之上は「ありがとう」言ってこなかったんですねきっと。


口が慣れてないからへたなのです。


「ありがとう!ありがとう!ありがろう!あにっ・・
 ありがとう!ありがとう!ありがとう!おりごとう!
 ありがとう!ありがとう!かにがっ・・あ、りが、あ、
 ぶっっ!(ろれつ回らない自分がおかしくて吹いた)」


こんな感じで5000回(5日間)は真面目に進みました。


とりあえず、3日坊主な中之上は
あたし続いてるぜ🎵とか調子にのってるうちに


だんだんないがしろにし始めます笑 はやw


なので、朝まとめて1000回言えなくて午後の買い物行く時
スーパー行くまでの5分で言うとかアレンジし始めて
カウントもおざなりになってきたので
一体自分がどれだけ言えたのかも不明ではあるんですが


今思えば。おそらく計1万回超えたくらいですね。


いろんなことに
「ありがてぇな〜」と感じ始めた自分に気がつきました。


両親が健康でいてくれてありがてぇな〜
こどもたちがいてくれてありがてぇな〜


ここら辺は、自分に余裕がある時とか簡単なきっかけで思うことはあった。


ここからは、いままで考えてこなかったタイプのありがとう


●古いとか壁薄いとか文句ばっか言ってたけど、この子が
中之上たち家族を雨風から守ってくれてたんだよな。
家さんありがとう


●トイレがなきゃさ。こんな衛生的な生活できないよな。
毎日毎日、あたしらのばっちいの受け止めてくれて
トイレよ、ありがとう


●工事とかで交通整備してくれてる人。郵便局の配達員さん。
ありゃ夏は暑いし、冬は寒い、雨の日だって打たれながらやってさ。
でもみんなの生活支えてくれて、ほんとありがとうだよな。
(それからは、交通整理の人の横通る時と
配達員の人に ”ご苦労様です” いうようになった
→”ありがとう”やないんかい、というツッコミw)


ご先祖様、ありがとう
まず自分を生み出してくれた親もだけど、いまこの自分がいるのは
顔も名前も知らないようなたくさんの人たちが命を繋いでくれたから
だと思いはじめて、初めてご先祖さまありがてぇ〜と思う。



こんな感じで、たぶん
ありがとうキャンペーンしなかったら
気がつかなかったことに気がつけた!のです。


最近、言い忘れてるので
また取り組んでみます、ます。


そんなに時間取らないし、ぜひみなさんも試してみてほしいです🎵


分からないという事が分かったこと。


こんにちは!

「お前の顔は、
   中の上ってところだね♫」 

と父に言い聞かせられ育てられた

中之上(ちゅうのじょう)30代です。



3人目の姫が、入院しました。

病室の窓からみえる景色がほんとうに綺麗で、

ベビーが寝ている間に空を眺めてました。


そんな時に思った徒然日記を記録します。


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なんで空は青いのか。。

なぜ木の葉は緑なのか。

雲は白いのか。。


この世界を作った神様、どうしてこの配色にしたの?って思った。


私だったらどうしてこうしたんだろ…

やっぱり、この色が一番綺麗だからかな。

心が安心する。

地球って、ほんとにいい星だとおもう。

すごく美しいもん。夕焼け空が今の時期はとくに素敵。

水を張って、まだ植えられた稲が小さいうちは

ピンクに染まった雲が、田んぼの鏡にうつってほんとにきれい。

地球に生まれてきてほんとうに良かったなーって思う。



生き物の多様性もそう。

ここまで生物を色んな種類にする必要ある?

人間だってさ。

おんなじ植物の種でも、同じ形に育たないもんね。

みんながみんな違うって、面白いね。

神様はなんでそんなふうにしたの?

そのほうが、楽しいから?



私が分かることは、

世界が美しいってことや、面白くてたのしくて多様性があること。

そして、それがなぜ何のために

そうやって作られたのか

ほんとうの事をわたしたちは

知ることはできないということ。




なぜ生き物は死ぬの?

なんでこの世界では、そういう設定にしたの?

私の考えはこう、

死ねるから、生きることを大切にできる。

死ねるから、終わることができる。

永遠の命、永遠に朽ち果てなくて、永遠に変化ができなかったら。

それこそ地獄かもしれない。




なんで病気があるんだろ…

もし、この世界を作った時

死に方を設定するにあたって


例えば、機械が電池切れでプツッと切れてしまうように、個別に設定してあって

ある日ある時間に、ぷっつんってエネルギーが

切れて死ぬ。 


これだったらどうだろう?

死因に、病気も事故も自殺も老衰もなくて。



そしてそのぷっつんが、

自分にはいつくるのかを

自分が知ることができたらどうかな?



人の生き方は、きっと違ったものになるだろう。



自分が、いつどうやって死ぬか

知ることができない。

なぜそうなっているのか、

私たちは知ることができない。

それがわたしに分かること。



今日も、分からないということが

分かって嬉しいなー。


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